事件の経緯
とにかく不可解な警察対応や状況が多々起こっていました。
平成24年2月19日(日)
夜10時17分 病院からTEL(救命救急センター:谷町4丁目)
病院、夜間入口に駆けつける。
警察官(制服)がふたり、緊急受付ロビーの長椅子に座っており、
須古永・当時63歳【被害者】の荷物を返還される。
返還された被害者の所有物は
・衣服(ビニール袋にいっぱい)
・持ち物
・財布
・名刺入れ
・携帯
・おみやげ(いよかんといぶりがっこ)
被害者の状態は、『意識なし』の重篤な状態。
医師より、「緊急手術をするが、手術中に亡くなることを覚悟して下さい」と言われる。
須古の(30年ほど前に戸籍は抜けている)娘に一応の連絡を入れる。
朝4時ころ 手術終了。 意識なし。
集中治療室に入れるのは午後3時~8時ばぼで、一旦帰るようにとのこと。
2月20日 (月)
会社(被害者が代表)で共に働いてきた会社へ行く。
AM9時頃 大淀警察からTELあり。(対応、I課長)
「事故ではなく事件なので、一旦渡した衣服を渡して欲しい」
「衣服を任意提出して欲しい。理由は相手の右腕が被害者の右腕を押した事件とわかった」
「警察では、微量な繊維でも検出することができる。」
「すぐに警察に持ってきてほしい」
と重大な事件の可能性を指摘されたので、病院の集中治療室前で渡すことを約束する。
セブンイレブンの店長ご夫妻(救急通報者)にお礼に行く
「外国の人(車に乗っていた)が、怪我をしている人がいるが、どのように
通報していいかわからない」と頼まれ見に行くと血の海だった。
「呼びかけても意識がなく、119番に電話した。」旨の説明を聞く。
救急車到着まで
「歩道の自転車専用上であったため、他の自転車に轢かれて死ぬ可能性がある
ので、体でかばい、通行自転車に声をかけながら、救急車を待った」
任意提出の申し出があった衣服を取りに行くため病院に戻る。
PM2時
病院・集中治療室前において、窓際の長椅子の所で刑事2名にで衣服を渡す。
須古本人が持つ携帯のうち1台の携帯への着信メール・TEL不審内容を見つける。
須古の友人に「不審なメール」の送信相手に、TELをしてもらう。
この事を警察に伝え、衣服を渡すときに『不審内容メール』を見せる。
加えて、返された荷物の『メガネが無傷』であることに疑問を感じ、警察にメガネも届けましょうかと電話を入れるが「必要ない」と返答を受ける。
2月22日(水)
事情聴取とのことで 警察に呼ばれる
聴取内容の大半は須古の生い立ち、青年期、芸人時代のこと、友人関係。
須古は30年以上親子供と暮らしていないことなどを話す。
その際に、通帳類は事務所にあったはずが、20日と21日でカードでお金をゼロまで下ろされている旨、相談する。
対応したI係長の返答は以下の通り
「ようあるのよ。身内がねお金を下ろしてしまうの、半分はあるん違うかな~」
事故当日に須古を誘い、事故後~救急連絡前までメールと電話着信を続けた『不信メールの発信者』に連絡したところ、「そんな人知りません・・」との返事。
その後、一切連絡のない『自称・吉永』について、岩田係長は『自称・吉永』を知っていた様子の発言。(なぜかI係長は怒る)
「楠田さん言うんやけどね、ここで号泣したからええ人なんや。関係ない」
この日に警察に事故関係で聞いたこと
「自転車同士はぶつかっていない」
「相手の右腕が 須古の右腕を押した。」
「須古さんは、こう(手を上げて、左外回りに回るよう)踊るように回りながら後ろに倒れていった。」
事情聴取数日後
最善の捜査をしてもらいたいので、お願いの手紙等を警察に出す。
・須古は警察が好きであったこと。
・交通や防犯の催しに、持ち出しでも協力を惜しまなかったこと。
・実際に2010年にも多くの催しで、防犯関係を取り入れ、大阪府警・奈良県警に協力をしたこと。
・交通遺児のクリスマスパーティなどにも、自費でタレントを入れていたことなど記載。
3月始め事情聴取
「もう一度事情聴取をする」と呼ばれる。
以前に事情聴取で呼んだときに、サインをもらっていないための再聴取との事。
事情聴取は、生い立ちから幼少期の話で、約4時間強。
前の調書はどうなったのか、サインだけなのではと疑問に思う。
調書を読み聞かす際、係長が
「私は須古永をゴローちゃんと呼んでいますが」と読んだが、私はそのように呼んだことはなく、また、そのような質問もなかった。
「なぜ、どこから、そのように決めたのだろうか」と疑問に思ったが、感じた違和感を口を出すと、威圧的に変わるので、『最大の目的は事件を解決してもらうことであること』を念頭に置き、指摘出来なかった。
I課長が威圧的で怖いと感じた会話1例(この日の会話から)
「どのようになったら、左後ろに回転するように倒れるんでしょうか」
係長に尋ねた際に、机上の黒のスタンプ台を使い
「こう、右腕に(前から)あたったらね、こう(スタンプ台を右回りに動かし)、回ってこけていくでしょう。」
「それ、右の内回りなんですけど、須古は左外回りでこけて行ったっておっしゃってましたが」と言った際に、「右回りでも、左回りでも一緒や!」と怒鳴る。
3月4日
不思議なメールを送ってきていた、自称・吉永(I係長曰く○田さ○り)が、
吉永名で3時に集中治療室を訪問してきたが、入れず。
5時10分まで、集中治療室前ですべての様子を見たり、会話を聞いていた警察に電話で報告。
係長に確認したところ
「ああそうや。私が行きいうたんや。何か悪い?何が悪いの?」とまた怒る。
I係長と自称・吉永との関係に大きな疑問。
自称・吉永という女からから、須古の友人にメールが来る
私は自称・吉永と面識がない
3月10日(日)
須古 永(63才)夜11時 死去。
警察が検視のため病院へ来る。
死亡の書類について
病院は「1枚を原本で後はコピーにするように」といっているが、警察は「全部原本で必要だから原本を数枚書くように病院に要請」
原本が何枚も存在する公文書があるのか?
病院がどのような対応をしたのかは、今後調査予定。
3月30日(金)
須古の入院費用を支払いに行く。
須古の友人と大淀警察へ行く。
捜査の状況を知りたいため。
「改めてよろしくお願いします」の意を込めて差し入れ菓子を手に訪問。
「解決できないと思うから、受け取られへんわ」と受け取り拒否
ケイツービルの防犯カメラプリントアウトされた静止画像(1枚の用紙に数枚の画像をプリントアウト)を見せてもらう。
「相手の人の 右腕が押してから、須古さんは左に回るように後ろに落ちて行っているでしょう」
自転車の特徴を聞く
・赤っぽい
・変速
・前輪右にオートライト
もうひとつの防犯カメラの存在は知らされず。
通報してくれたセブンイレブンの店長にに改めて礼に行く。(3度目)
私が口を開くと係長が怒るので、須古の友人から大淀署にTEL。
事件の早期解決を願い「チラシを作ろうと考えています。」と伝えてもらう。
大淀署係長の返答 「被害者側がチラシを作るなど、今まで前例がない。
前例がないことなので、警察で会議をする必要がある。週明けに会議で・・」
夕方6時 大淀者から電話。
「堂島ライオンズクラブ(須古が入っていた)が、今、大淀署に来ている。協力するから解決して欲しい。」と、云っている。
「教えて欲しいと云うが、防犯カメラの写真他人に見せるわけに行きませんからねえ。許可ないしねえ。Dさんが許可しますか」と言われたので
「どうぞ、見てもらってください。私より冷静に見られると思います。」と返事。
3月31日(土)
チラシ作成の交渉をライオンズクラブにお願いし、私が原稿を作成。
大淀署 4月2日に大淀署で稟議をあげることにしますと返答
4月2日(月)
チラシ作成の条件は、連絡先を「大淀署とその電話番号」とする。
今後の被害者が、警察に印刷物を作ってくれと言うと困るので、発行者(友人やライオンズを大淀署名と同じ大きさで入れること等の条件が出る。
チラシを印刷。 8万枚
4月4日
チラシを 手撒きで配布開始。
4月14日
阪急、淡路駅前ほかで配布
4月13日(土)
新聞折込にて、約7万枚強を配布
4月18日 須古の愛犬が、急逝。
4月19日
愛犬を火葬に連れて行くにあたり、大淀署にTEL
「須古が通ったと思われる道を、アバウトでいいので教えて欲しい」
「愛犬が迷っているお父さんを迎えに行き、一緒に逝ってくれればと思う」
と、の想いから現場捜査員さんに尋ねる。
返答は『我々は、正直全然わからない、長柄橋を渡ったかどうかも、我々が「渡ったん違うかな」と思うだけで何も確証はない。』との事。
4月上旬
I係長からTEL
「任意提出で出してもらっている、須古さんの当日の衣服なんやけど、娘さんに返したいと思うから、武仲さんに返さないこと、了解してほしいんですわ。」
「娘さんが欲しいやろうとおもってねえ」
I係長「須古さんの服、娘さんに渡す件了解かな。」「娘さん、49日頃にお母さんと事情聴取に来るから。そのとき渡します。」
と勝手に話を進めてしまい、任意提出者である私の意思ではなく還付された。
5月10日
読売新聞 夕刊に掲載される。
5月11日
毎日新聞に掲載される
大淀署 I係長からTELあり
「マスコミが2社も載せたら期待するかもしれんけど、何も出てこないから。 期待せんようにお願いしときますね。」
5月24日
防犯ビデオ画像を借りしたい旨、須古の友人(B氏)と大淀署に依頼に行く
I係長に依頼
前向きに検討して、明日午前中に連絡するとの返答。
5月25日
昨日依頼の防犯ビデオの画像について、電話では話せない話しがあるので来署するよう呼ばれる(B氏と来署)。
(5時45分までなので、5時半までには来るようにといわれる)
対応・I係長および樋浦課長
返答・無理と拒否
理由:
防犯ビデオに写っている人と、須古さんが接触した人とは、99,9%同一人物だと思うが、残り0.1%、この人が「私じゃないと言ったら」警察としては困るということ
岩田係長
「この女の人 もう勘弁したって。この人にも人生あるんやから」と発言。
5月30日
MBSニュース番組ボイスの特集コーナーで「ひき逃げ」として取り上げられる。
6月19日
大淀署に行く
須古の自転車を見るため(B氏・C氏の2名同行)
7月11日 (詳細・別紙3)
大阪市東淀川区東中島5-23-5で、Bさん他仲間が酷似する自転車を見つける(自転車A)
この場所は、警察が「須古が最後にいたと考えられる」と言った場所
7月17日
上記自転車の情報を、原田整骨院院長が警察に持参。
「答えは要りますか」と言われお願いしますと返答。
9月29日時点、原田院長には返答なし
7月23日
川南社長が、自身の任意提出品(防犯カメラ)の仮還付を大淀署に対し要請するも拒否される
8月4日
上記自転車A ほかについて、なんの答えもないため、
須古の友人(A)が 写真を持って警察に出向く。
8月23日
A氏に電話で返答
8月お盆前
「須古が、お盆で帰ってくるので、わかっていることを教えてあげたいから」と警察を訪ねる(地主氏と2名で来署)
岩田係長
「須古さんがこんなふうに(右腕を真横にだし)右腕を出した」
と事件内容説明が変わった
加えて以下のような、会話がなされた。
地主)この人、自分の相手が亡くなったこと知ってるんでしょうね
I係長)そら、知ってるよ。 東淀川区の女の人やけどね。多分ね。
地主)本人は気づいてますよね。
I係長)周りの人からも聞くしね
地主)辛いでしょうね。
I係長)そやからね、もう いいんと違うの。
地主)一生辛いですよね。
I係長)ああ、こんなん言ってたら、また、何か言われるわ
と私の方を睨みながら)もう、何も言わんとこ。
8月27日
朝日新聞に掲載される
9月14日
朝日放送、キャストで放映される