■ はじめに 皆さんは町で自転車 に乗っている学生たちを 見たことがあると思いま すが、マナーは守られ ていますか?
私たちのまち、南幌 ではどの生徒も自転車 通学が許可されている のですが、あまりマナー がいいとは言えません 。
二人乗りをしていたり、 信号無視をしていたり、とても危険な乗り方をしていま す。またすぐ近くに横断歩道があるのに使用せず斜め 横断、歩道をふさぐように2列・3列での自転車走行が 当たり前です。
私の姉は6年前に交通事故でなくなりました。姉は 当時中学3年生で、通っていた南幌中学校では交通安 全指導を厳しくし「交通安全の誓い」を生徒たちでたてたそうです。
そして、姉の月命日である1日を、交通 安全の日として、全校生徒で集会を開き交通安全につ いて話す日が設けられましたが、校長先生の異動でな くなり、2年で終わりました。
それから6年経った今では、誓いは忘れられています。
3年前までは一部しか認められていなかった自転 車通学も全員認められています。姉の事件のときは、 学校から3km以上離れたところに住んでいる生徒であ り、許可書が出た生徒だけが認められていました。
なぜ自転車通学を生徒全員に認める方向に変わった のか、私にはまったく理解できません。
特に学校での 指導があった記憶もありませんし、何の教育も指導も ないままの出来事だったからです。学校は姉の事件で 何を学んだのでしょう。時間が経てば、そのことを覚 えている人たちが学校から去れば、それで終わりなの でしょうか。 交通教育について思うことはいくつかあります。
すこ し生意気に聞こえるところがあるかもしれませんが、話 したいと思います。
■ 「交通安全青空教室」のこと 南幌小学校では毎年「交通安全青空教室」という、 ものが開かれています。姉が亡くなった次の年、私は 小学4年生でした。事件前までは何も考えずその授業 を受けていました。ですが事件後から青空教室はとて も怖い授業だな、と思うようになりました。 青空教室では児童に横断歩道の渡り方やドライバー から見た道路の説明などをしています。
その中には飛び出しの危険性を指導するために実際に車をつかった りするシーンがあるのですが、どうにかならないのかと 思います。スタントマンが児童の目の前で、車にはね られるのです。 本当に怖いと思いました。他の人たちは「すげー」 と面白そうに見ていましたが、その気持ちはまったくわ かりませんでした。 ルールなどの知識を覚えさせるよりも先に、まず命 の重みをわかってもらうことが大切なんじゃないでしょ うか。何より、交通ルールを笑いで覚えられるとは思 えませんでした。人がはねられるところを見て笑ってい る子たちがいて、それを咎めない教師がいる。これで は、何も意味もないと思います。
いくら車の怖さを教え たところで、命をなんとも思っていなければ何も変わり ません。命の重さがわかれば、自然に車を見るはず です。自然に気をつけるはずです。
ルールなどよりも 先に、まず命の大切さを教えてほしいと思います。
まるで遊びの手本を見せるかのように、人が車にはねられ るところを見せるような人たちでは、無理なのかもしれ ません。
そして自転車の乗り方指導のときは一段と声を大き く「自転車は乗り方を間違えると事故に遭います。ちゃんとした乗り方をしていれば事故に遭わないというこ
とです」と言いました。
姉は、自転車で登校途中にトラックにはねられ亡く なりました。そのときの私は姉の事件のついての詳細 を知らなかったのですが、全校生徒の前で「私の姉は 自転車の乗り方をきちんとしていないから事故に遭って 死んだ」と責められていると感じました。しかし学校の 先生は「どうかしたの?」と、姉を亡くしてまだ数ヶ月 しか経っていないことも、忘れてしまっているようでし た。形式的に、交通安全教室を行っているという実態 があればいいのかと感じました。
■ 卒業生の死 一月程前、バイク事故で南幌中学校の卒業生のか たが亡くなりました。
私の両親の知り合いの息子さんで した。その人の家へ行ってきた両親の話によると、親 御さんは当然ですがとてもショックを受けていたそうです。
私は、その事件は学校で話がしっかりされると思 っていました。 ですが、次の日の朝、学校に行ったとき先生が話したのはうちの卒業生が事故に遭って亡くなりました 皆さん気をつけてください」とほんの少しでした。
今、 はやっているインフルエンザについての注意のほうが、 よっぽど長いのではないかと思います。
ショックでした亡くなったのはうちの卒業生なのに こんなにもあっさりと終わってしまうのかと、信じられない思いでした。亡くなった方が卒業したのは2年前な ので、知っている先生方もたくさんいます。
私の学年 にはその先輩を知っている生徒がたくさんいます。
私 は面識がなかったのですが、部活などでお世話になっ た同級生もたくさんいます。
それでも、その人が話題 にのぼったのは朝のその一言だけでした。卒業してい れば関係ないのでしょうか。
あまりに人の死に無関心すぎるような感じがします。
このような無関心さや他人事のような対応をするべきで はないと思います。それがそのまま生徒の無関心につ ながっているような気がします。その日1日、誰一人変 わった様子も、また、話に出ることもなく、私はその雰 囲気に違和感を覚えていました。
■ 「交通安全青空教室」のこと 私がこんな風に 交通事故や学校の 対応について深く考 えるようになったの は、姉の事件がき っかけです。 姉が亡くなって、 とても悲しい思いを しました。本当のこ とを知りたいと必死 で活動する両親も見 てきました。
今その 両親は、交通犯罪の 現状を知ってもらうためにいろいろな場所で講演を行っ ています。
そんな風に少しでも交通事故をなくそうと頑張ってい る人はたくさんいるのに、学校はたいした対応をしてく れません。最初話したように、事件直後は交通安全の 日を設けたりしてくれても、時間が経てばなくなってし まいます。
誓いはどんどん消えていってしまいます。
そ んなことで意味はあるのでしょうか。事件から学んだこ とを生かして、事故をなくそうという気持ちはないので しょうか。
先ほど青空教室の話で言ったように、もっと 命の大切さをみんなに教えてほしいと思います。そうす れば交通教育にも少しずつ意味がでてくるはずです。
その方法はなんでもよくて例えば小学校低学年なら トンボの頭をもいで遊ばないように注意するだとか、ほ んのささいなことで大丈夫です。 中学校の対応も後から考えると、あっさりしているよ うに見えて実際はとても悲しみに満ちていたと思いま す。それなら、もっとその感情を隠さず表に出してくれ ればいいんです。誰かが死んでしまえば悲しむ人がた くさんいる、ということが伝われば何かが変わってくる のではないかと思います。
生徒に動揺を与えないようにと考えているのかもしれ ませんが、命は一つしかないのです。奪われても奪っ てもいけない大切なものなのです。家庭でも教えるの は当然ですが、結局のところ自分は大丈夫と思ってい るのかもしれません。
■ 姉の事件以来自転車に乗れず 突然家族を亡くすということは、時間の経過で癒さ れるものではありません。 私は自転車に乗ることがありません。
姉の事件後か ら乗っていません。通学でも自転車は使用していません。特別許可を得てバス通学をしています。 一度自転車通学を試みたことがあります。
でも自宅 から500mのところ、姉の事件現場に着いたところで動 けなくなっていました。
どんなに遠くにいても車が視界 にあると恐怖で道路を横断することが出来ませんでした。
ここで横断して、万が一事故に遭ったら周りに何を 言われるだろうか。
姉妹そろって正しい自転車の乗り方を知らないのかと言われるのではないか。
姉は交通法規を守り横断したのに、高速度のトラッ クが道路を飛び出し姉に向っていった。
車との距離は 十分あるように見えるけど車が自分に向ってきたらどう しよう。
今考えると、姉を亡くした後の、学校で行われた交通安全教室がトラウマになっているのかもしれません。
どれだけの時間その場にいたのかわかりませんが、少なくとも横断歩道があるその場所にずっと立っていたわ けですが、停止した車はいませんでした。
渡ろうと身 を乗り出し、車の状況を確認していても歩行者を安全 に渡らせようとした運転手はいなかったのです。 1台の車が止まったのですが、それは初めての自転車通学を心配してあとを追ったきた両親でした。自宅 を出て15分以上経過してから両親は自宅を出たようです。
父が横断歩道手前で車を停止させ、母は車から 降りて反対車線に立ち大きく手を振り、遠くにいる車に 横断者がいることを知らせてくれました。 事件から6年の間での唯一の私の自転車体験です。
■ 交通安全教育に思う 両親は、様々な場面で学校と話し合いをしていまし た。
こちらからすると、少し考えればわかるのではないかというようなことでも、話をしてはじめて気がついて もらえることも多いのも事実です。
自転車の乗り方指導の在り方についても、姉を亡く した私の前で、スタントマンを車で撥ね飛ばすことも、 こちらから言わなければ、心に大きな傷となったことを 分かってはもらえませんでした。
簡単に言うと、学校の 交通安全教育から私を守ることにも、両親は立ち向かわなくてはならなかったということです。
また私自身も 自分ひとりで立ち向かうことは無理でした。
安全は、ルールを守っているからと確保されるもの ではないと思います。
今の交通安全教室をすべて否定 するわけではありませんが、もっと体験者の話を聞く機 会を作ってもいいのではないでしょうか。
そして、もう 少し被害者の兄弟など、実際の被害にあっている人間 のことを思いやった交通安全指導を考えてもらえないで しょうか。 これからの学校教育で、少しでも事故が減って、悲 しい思いをする人が少なくなればと心から願います。