女子高専生を車ではね、死亡させたとして、自動車運転過失致死罪に問われた岩出市中島、会社員菱田浩司被告(24)の判決が2日、地裁であり、
杉村鎮右裁判官は「娘を奪われた遺族の悲しみは深く、結果は重大」として、禁固1年、執行猶予4年(求刑・禁固1年6月)の有罪判決を言い渡した。
当初、過失の認定が難しいとして、立件されなかったが、両親が警察署で事故車両の傷を自ら調べるなどし、
その結果と共に地検に上申書を提出、発生から2年越しに起訴された。
判決によると、菱田被告は2008年7月21日夜、乗用車を運転、同市中黒の県道交差点の信号が黄色であることに気付きながら進入しようとし、
自転車の国立和歌山高専3年、新名はるかさん(当時18歳)をはね16日後に死亡させた。
判決を聞いた新名さんの両親は「気持ちを酌んでくれたのは分かったが、執行猶予については複雑な気持ち。目撃者がいない中、
事故のすべてを明らかにするのは難しかった」と静かに語った。
交通事故死した娘の死の真実を法廷で明らかにしたいと、岩出市の会社員、新名甲太郎さん(52)と妻の実津代さん(53)が求めていた刑事裁判の判決が今月、
事故から2年を経てようやく下った。有罪を言い渡す裁判官の言葉に目頭を押さえていた2人だったが、法廷を出てもその表情に喜びはなく、心の傷の深さをうかがわせた。
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「被告人を禁固1年、執行猶予4年に処する」
今月2日、地裁の法廷で、新名さん夫妻は、
自動車運転過失致死罪に問われた男性会社員の被告(24)に目をやることなく、じっと判決に聞き入った。
次女で国立和歌山高専3年だったはるかさんは、2008年7月、
自転車に乗っていて被告の運転する車にはねられ、18歳で生涯を閉じた。
判決は、「最愛の娘を奪われた遺族の悲しみは深く、(被告の)事故後の態度は配慮を欠いていた」と被告を批判。
実津代さんは判決後、「私たちの気持ちの一部は酌んでくれた」と話したが、「実刑にしてほしかった」とうなだれた。
長い苦しみの始まりは、突然かかってきた事故を知らせる電話だった。
「できるなら、私が代わってあげたい」。実津代さんの祈りは届かず、事故の16日後、はるかさんは亡くなった。
四十九日を終えた頃、実津代さんは加害者に科せられる刑罰を警察官に尋ねた。
「100万円の罰金刑くらいですかね」。加害者側の過失認定が難しく、正式起訴は難しいとの説明に耳を疑った。
「はるかの命はそんなものなのか」と怒りがこみ上げ、「法廷で事故の真相を明らかにしてもらおう」と決意した。
だが、2008年に検察庁で自動車運転過失致死傷罪等で処理された全国の約74万件の事故のうち、正式起訴されたのはわずか0・9%。
2人は何度も地検に足を運び、事故直後に被告から聞いた状況と警察の実況見分調書との矛盾などを訴えたが、「証拠にならない」と言われた。
事故車両の傷の写真などを添えた上申書を地検に出し、事故の1年11か月後、ようやく正式起訴の知らせが届いた。
被害者参加制度に基づいて2人は法廷で意見陳述し、判決は「軽率な運転態度は強い批判を免れ得ない」と断じた。
だが、実津代さんは、「はるかはもういないのに、相手は普通の生活に戻っている。娘に判決を報告できない」と複雑な表情だった。
はるかさんは、生きていれば今年7月に20歳になり、来年が成人式のはずだった。自宅には最近、呉服店からの案内状がしばしば届く。
「姉の振り袖を見て『私の時はこんなのが着たい』とはしゃいでいた姿を思い出して……。
こんな思いをする人が、これ以上出ないようにしてほしい」と実津代さんは声を絞り出した
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取材に車で出向く私も、いつ加害者になるかわからない。
安易な運転が、誰かを深く悲しませるかもしれないことを、ハンドルを握るたびに肝に銘じたい。(上野綾香)