2010/9/7
STV どさんこワイド179 特集
進まない交通被害者の救済
事故の原因は、死亡した娘ではなかった。
執念の独自調査で、娘の汚名を晴らした両親がいます。
2人のもとには、全国の遺族から助けを求める声が寄せられています。
その悲痛な声に耳を傾けると被害者救済のあるべき姿が見てきました。
日本最大の魚市場、東京・築地市場。
その一角にある運送会社に貼られた真新しいポスター。
今月から始まった、社内の交通安全運動のために作られました。
成人式の振袖姿で、「安全運転」を訴える女性。南幌町の白倉美紗さんです。
「(市場に)入ってきてすぐに、美紗に迎えられるというのが不思議な感覚」
南幌町から駆けつけた美紗さんの父親の博幸さんと、母親の裕美子さんです。
愛する娘の晴れ姿と、ポスターに記された従業員の安全への誓いの言葉に目がいきます。
「美紗にみんなが交通安全を誓ってくれてうれしい。
家の中に引きこもって仏壇の前にいなくても、美紗はここにいる」
美紗さんは7年前のこの日、交通事故でわずか14年の短い人生を終えました。
ポスターは、14歳の写真からイメージした20歳の美紗さんの肖像画です。
南幌町の交差点。事故はここで起きました。
自転車で登校中だった美紗さんがトラックがはねられたのです。
原因は、美紗さんの飛び出し。当初、警察はそう結論づけました。
警察の捜査に疑問を感じた白倉さんは、独自の調査に乗り出します。
トラックと自転車の傷から衝突の状況を探り、
路上に残された血液などから、美紗さんが倒れていた場所を特定しました
「一語一句聞き逃すことなく、聞いてきたいと思います」
娘の最期を知りたい。
その執念は捜査機関を動かし、運転手の男が起訴され有罪判決を受けました。
さらに、その後の民事裁判では、運転手の過失が95%と認められました。
美紗さんが悪かったはずの事故。
の責任のほとんどは、運転手側にあったと判断されたのです。
「警察の捜査の不備を表に出せたこと、
それから、自分たちのやってきたものが一部であっても
認められたことはしっかりと美紗に報告できる内容だと思っています」
このとき、事故から5年半の歳月が過ぎていました。
今月2日、白倉さんは和歌山県に住む交通事故の遺族を訪ねました。
新名甲太郎さんと妻の実津代さんです。
新名さんの二女、はるかさん。
はるかさんはおととし7月、18歳でこの世を去りました。
アルバイト先から自転車で帰宅途中、交差点で乗用車にはねられたのです。
事故の目撃者はなく、警察は運転手の話をもとに、
はるかさんが赤信号で交差点に進入したことが事故の原因だったと判断しました。
「事故の真実、本当のことを知りたい。
どういう事故だったのか、本当のことを知りたい」
しかし、弁護士事務所などを訪ねても、相談に乗ってくれる人は見つかりませんでした。
そんなとき、インターネットを通じて知ったのが白倉さんでした。
「たぶんこの人だったら、自分たちの気持ちを聞いてくれるやろ。
何かしてくれるやろと、どんどん進んでいった」
新名さんは白倉さんの協力の下、
警察に保管されていた実際の事故車両と自転車を使って事故の様子を検証しました。
そして、捜査の矛盾点を指摘し、検察に更なる捜査を求める上申書を提出したのです。
この結果、和歌山地検は事故から2年後、運転手の男を起訴しました。
しかし、今月2日に出された判決は新名さんたちを失望させました。
望んだ実刑判決はかなわず、裁判所が認めた事故の内容も警察の調書のままでした。
「加害者の調書通りに動いていて、本当の事実は…。
判決が出て言いたくないがちょっとがっかりしましたね」
「(真実はわかりましたか?)…」
加害者側の話を中心に進む捜査と、置き去りにされる交通事故の遺族たち。
「自分たちが経験してから月日が流れていて、
色々と被害者(支援)の制度もできているはずなのに、
何でまた、うちと同じことが起こっているんだろうなって。
結局、色々な被害者に目が向けられているといいながら、実情は変わっていない」
進まない被害者支援の一方で、変わったこともあります。
白倉さんの体験をもとに交通安全に取り組んでいる築地の運送会社では、
取り組みを始めた去年、交通事故が4分の1に減ったといいます。
この日、会社からは感謝の盾が贈られました。
「我々は立場的には常に加害者になる立場なので、
運転手、それから従業員みんなの心の中に、
事故は決して起こしてはいけないという思いを強くしました」
「加害者にならないということは被害者を生まないということ。
本当に自分たちのような人を作ってはいけないし、
社員の皆さんも毎日、笑顔で家族のもとに帰ってもらればなと思っています」
白倉さんに贈られた盾に刻まれていたのは、
安全への誓いと、美紗さんへの感謝の言葉でした。