酷い警察対応



長女・美紗の事件で知った捜査機関の杜撰な実態。全ての事件が当てはまるとは言わないが
私たち遺族が経験したものは、あまりに非常識でとても国家組織の言動とは思えないものばかりでした。
全てを書くことは無理です!!あまりに多すぎて。 
このページではまず事件当日と初めて警察署に行った時の事を書きます・・・・・


事件当日(平成15年9月1日)
病院で美紗が息を引き取った直後、栗山警察署の警官が『検視』のために来た。
第一声は「おたくら親?」 事務的な態度を通り越し怠慢でえらそうな口調で言ってきました。
続いて「名前は?」「家族構成は?」「住所は?」「電話番号教えて」


突然の「美紗ちゃん、心肺停止状態で病院に運ばれました」との電話で
病院に駆けつけた直後に美紗は息絶えた。
訳がわからない。現実感が無い。でも美紗の体は冷たくなっていく。
医者に「助けてよ!助けろよ〜〜〜!!」としがみ付いた。
必死に美紗の体を擦ったり叩いたり、名前を呼び続けた。
返事してよ!目を開けてよ!やだよ!美紗!起きてってば!美紗!
お母さんだよ!わかるかい!お願いだから返事してよ!
・・・・・お父さんは「寒い」と何度も言っていた・・・・・その直後の話です。

検視に警察官が来ました。
警察官に「何があったの?!状況を教えて!!」と聞いたら「知らない」と一言。
検視に行けと言われたから来たので現場のことはわからないと言う。
でもこの警察官が現場から来ていたこと、ある程度事件状況を把握した状況で
病院に来ていたことが発覚し、後に喧嘩となるのでした。



加害車両

事件現場から即、スクラップ工場へ。
大切な証拠品を数枚撮って終わりだなんて、交通犯罪だからやる事だと思います。
殺人事件で使われた凶器を写真撮ったらからと捨てたりはしないはずです。
仮還付ならわかりますが、事件直後にスクラップ許可は余りにもひどい対応です。
(調書に添付されていたトラックの写真は3枚でした)


美紗の自転車

警察署に持ち帰らずに、現場に居合わせた役場の人に「白倉さんに返しておいて」と
頼んだというからビックリ!
さすがに役場の人も断ったので警察官が「お持ち帰り」したそうです。
(裁判資料に自転車の写真は1枚もありませんでした)

平成15年9月8日

初めて警察署に出向く

事件の次の日から、周りの人たちが「出会い頭の事故」との報道と現場状況に疑問を覚え、
現場の写真やビデオ撮影をしてくれていました。
祖父と兄が警察署に何度か出向き、話を聞き、目撃者の住所、氏名知る事が出来ました。
私たちは全てにおいて言った言わないの水掛け論をさけるため、私たちはテープを持参して
初七日法要を終えたこの日、行動を開始した。会話を録音して大正解。 
警察署に足を踏み入れてすぐ 「あ、加害者の・・・・・・・・・・・白倉さんこちらへ」
その時は聞き間違い???と思ったがテープを聴いたら聞き間違いではありませんでした。。



遺品の管理

美紗の遺品を引き取り、事件内容を聞くつもりで警察署に行ったわけですが、いきなり怒鳴り合いから始まるとは。
「ハイこれ靴と、カバンね」と出されたのはいいが、血だらけの靴をそのまま通学カバンに詰め込んでいました。
この扱いは酷いと抗議したら

「検視に来た警察官」に「最初からこういう状態だったんだ」と怒鳴られました。

「あなた、現場には行かなかったって病院で言っていたでしょ?!」 
 
「あ?なに?現場がどうしたって?」
「現場には行ってないと言ったでしょう?」  
 「はじめ現場行ったの。そして病院にいったの。そのまま持ってきたんだ!」
警察は平然と嘘をつく。



美紗は物

あまりにも非常識で、理性を保つのに必死でした。
なぜ理性か・・・その後に詳しい事件内容が知りたかったからです。
でも次に待ち受けていたのは書類。何の書類かと尋ねたら

「この前娘さんの遺体返したでしょ。それの書類」との説明でした。
美紗を物扱いしたような、物品の返却をしたかのような言葉に
言葉に表せないほどの怒りが込み上げたやり取りでした。

対応したのは検視のときの警察官です。


警察による「事故」説明

やっと事件の話を聞ける・・・・と思ったら聞けない・・・
書類書き終わったら「なんか聞きたいとか言ってたけど、何?」
「事件の状況でしょ、何も知らないんだから」
「それなら、この間病院で概要を・・・・」
「ちょっと、捜査した人は?」
捜査員が出てくるまで、時間がとても長かったです。

「お父さん、お母さんにとっては残念な事だと思いますが、そのように処理しています。」
「そのようにって、どのように?」
「聞いた通りです」  
 ・・・・・つまり「美紗が飛び出した」ということ。美紗の飛び出しで「処理」されていました。

「衝突地点はセンターライン付近です」  
ブレーキ痕上でセンターライン付近で跳ねられたなら、美紗は25mも飛ばされたことになります。 
現場状況の話をしたけれど 話がかみ合わない。 
交差点内にある反対車線に向かって印象されたブレーキ痕しか知らない様子。  
ブレーキ痕がもっと交差点手前からある事を何度も説明したが、堂々巡りの話で終わりました。 



警察署の署長

美紗の事件後、近郊の4か町の人たちが現場確認に訪れていたらしい。
その時栗山警察の署長が「運転手と言うより道路が悪いな」との言葉を聞いた
町内の人が、怒り心頭し情報をくれました。
確認のため署長に聞こうと思ったら不在。 
 「真偽は絶対確かめるから」と伝言し、美紗の自転車を引き取り家に戻りました。



交通部長から突然の電話、そして来宅!!

ここでの内容は、書くと長くなるのでわかりやすく箇条書きにさせていただきます。

・電話後の来宅は「署長発言」の弁解のため。「言ったけど、意味が違う」そうです。

・運転手を「加害者と呼ぶのは適切ではない、さん付けもしくは当事者と呼ぶのが相当」

・ブレーキ痕(約26m)については知らない


・遺品の扱いは不適切だった。
でも警察官が入れたという証拠が無い。現場に居た町民が入れた可能性もある

・「運転手さんに教えたから、白倉さんにも「目撃者のことを教えました」


 私たちが目撃者の存在を聞き、話を聞きに行った時には
すでに加害者が目撃者と接触『お礼』を済ませていたのだ。
目撃者調書はその『お礼』後に作成されていました。